最高級のみかんつくりめざして! 一生園みかん

一生園みかん

八幡浜みかんの歴史

明治27年からはぐくむ自然の恵み


蜜柑の父 大家百次郎 頌徳碑

明治27年、八幡浜市向灘の大家百次郎が福岡より、みかんの苗3000本をこの地にはじめて持ち込み栽培を始めました。
半農半漁の貧しい地域でしたが、徐々に栽培する農家が増えていき、昭和8年の組合の誕生とともに共販体制のもと、大阪方面への販路の拡大と計画集荷が可能になりました。 戦後、一気にこの地域全域で増産体制を取るようになり、選果場の整備とともに東京神田市場に向けての出荷が始まりました。
戦後の高度成長期とともに、八幡浜市向灘地区で生産されるみかんは、甘味と酸味のバランスの取れた「日の丸みかん」ブランドとして全国に知られることとなり、さらに平成2年、昭和天皇大嘗祭にお供納するみかんとして献上されたことにより、名実ともに日本のみかんの最高位を得ることとなりました。